1969年、ハンブル・パイを結成する為にスティーヴ・マリオネットがフェイセズの母体となるスモール・フェイセズから脱退、残されたメンバーのロニー・レーン、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズの三人にジェフ・ベック・グループで活動していたロッド・スチュワート、ロン・ウッドが加って結成されたのがフェイセズ。
1970年3月、ファーストアルバム「First Step」を発表し、精力的なライブ活動を行い、翌年にはセカンドアルバム「Long Player」を発表。その一方でロッド・スチュワートはフェイセズ結成以前からソロ活動行っており、シングル「マギー・メイ」が大ヒットを記録する。そうしてロッド・スチュワートの名前が知れ渡ると、1972年12月に発表されたサードアルバム「馬の耳に念仏」が大成功を収める。(このアルバムからシングル・カットされた「ステイ・ウィズ・ミー」がバンド最大のヒットとなる)しかし、ロッド・スチュワートのソロでの成功が目立ち始めてくると、フェイセズは「ロッド・スチュワートのバックバンド」的な存在になってしまい、それが原因でバンド内に不協和音が生じてしまう。そして1973年、傑作「Ooh La La」を発表。しかしこのアルバムをロッド・スチュワート自身が酷評しバンド内の空気はさらに悪くなってしまう。その結果バンドの中心的存在だったロニー・レーンが脱退、後任にフリーなどで活躍していた山内テツが加入するもスタジオアルバムを作ることなく1975年ロッド・スチュワートが脱退、ロン・ウッドはローリング・ストーンズへ加入、そしてイアン・マクレガンとケニー・ジョーンズはスモール・フェイセズ再結成へとメンバーがバラバラになり解散を向かえる。


いち早くフェイセズを脱退したロニー・レーンはその後自らのペースで音楽活動を続けるも多発性硬化症に罹り1997年に肺炎により亡くなってしまう。
2009年10月ロッド・スチュワートを除いてフェイセズは再結成する。メンバーはロン・ウッド、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズ、そしてボーカルは様々なボーカリストがロッドの代役を務めた。ロニー・レーンの代わりは元ローリング・ストーンズのビル・ワイマン。そして2010年、フェイセズは公式にシンプリー・レッドのミック・ハックネルをボーカリストに、ベースに元セックス・ピストルズのグレン・マトロックを迎え再び再結成し同年8月にリユニオンライブを行った。 2011年にはツアーを行う予定らしい…。
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